今日のこと
posted in 02:17 February 13, 2006 by
3月の俳優座公演で『KAN・KAN・KAN』とういう作品をやる。この作品はウフフ舞踊団での作品で横浜赤レンガで2年前にも発表したもの。今回はダンサーをすべてスタジオの若手ダンサーのみでやることになった。
『KAN・KAN・KAN』を創った当初のきっかけは、わたしが幼少のときに千葉の田舎町にある踏切りの真ん中で、夜に独り寝そべった記憶から生まれたんです。人通りもない、ポツんと佇むその踏切りは7歳のわたしには不思議で、魅力的なものでした。人と電車の道が交差する危険な恐い場所、でもオレンジの灯りに四角く区切られたそこに寝そべったとき
“あー、死んじゃう場所に寝てる…”と癖になる気持ちのいい優越感があったのが強く記憶にのこってて。
今日、江原作品リハのあと次のリハの為スタジオに移動中ひとり桜上水で電車待ちをしていた。
疲れてたせいもあってボォーーっとしていたら、バキバキッ!と大木が折れるような爆音とけたたましい電車の警告音が鳴った。
もう明らかに今通り過ぎた電車が何かを通過した音だった。
その瞬間、上空にすごく沢山の白い鳥の羽が舞った。
こんなに沢山のハトがいっぺんに・・・?と思った。でも、近くにいる人がざわめきだした。
ひとだった。
白い羽は着ていたダウンジャケット。
『只今人身事故がありました』と流れる駅内アナウンスと、
手慣れた様子で迅速に作業する駅員と、
死者が他人であれば信じられない様な言葉を携帯で友達に話す若いひとの行動に鳥肌がたった。
でももう目の前の光景に震えてて動けなかった。
その後、すぐにスタジオへ向う気になれず桜上水で下り休憩した。
スタジオでは『KAN・KAN・KAN』のリハを待つダンサーがいる。
でも、恐くなった。
わたしが優越感を持って寝そべった場所は
こんなにも残酷で一瞬ですぐに隣り合わせだった。
『KAN・KAN・KAN』を創った当初のきっかけは、わたしが幼少のときに千葉の田舎町にある踏切りの真ん中で、夜に独り寝そべった記憶から生まれたんです。人通りもない、ポツんと佇むその踏切りは7歳のわたしには不思議で、魅力的なものでした。人と電車の道が交差する危険な恐い場所、でもオレンジの灯りに四角く区切られたそこに寝そべったとき
“あー、死んじゃう場所に寝てる…”と癖になる気持ちのいい優越感があったのが強く記憶にのこってて。
今日、江原作品リハのあと次のリハの為スタジオに移動中ひとり桜上水で電車待ちをしていた。
疲れてたせいもあってボォーーっとしていたら、バキバキッ!と大木が折れるような爆音とけたたましい電車の警告音が鳴った。
もう明らかに今通り過ぎた電車が何かを通過した音だった。
その瞬間、上空にすごく沢山の白い鳥の羽が舞った。
こんなに沢山のハトがいっぺんに・・・?と思った。でも、近くにいる人がざわめきだした。
ひとだった。
白い羽は着ていたダウンジャケット。
『只今人身事故がありました』と流れる駅内アナウンスと、
手慣れた様子で迅速に作業する駅員と、
死者が他人であれば信じられない様な言葉を携帯で友達に話す若いひとの行動に鳥肌がたった。
でももう目の前の光景に震えてて動けなかった。
その後、すぐにスタジオへ向う気になれず桜上水で下り休憩した。
スタジオでは『KAN・KAN・KAN』のリハを待つダンサーがいる。
でも、恐くなった。
わたしが優越感を持って寝そべった場所は
こんなにも残酷で一瞬ですぐに隣り合わせだった。